弱いのは居ないのと同じ|免状6段への道

免状6段への道

みなさん、こんにちは。

「ひらこ(@hirako_zonepre)」です。

 

囲碁インストラクターになったわたしは、次の問題に常に向き合うようになりました。

棋力と指導力との間に関係性はあるか?

 

囲碁の強さと教え方の上手さとの間に何か関係性はあるか、という問題です。

これは多くのインストラクターがある程度の回答を示しています。

 

棋力があるから指導力があるとは限らない。

名選手が名伯楽とは限らない。

スポーツの世界での言葉が囲碁でも通用するらしいです。

 

わたしは「棋力があるから指導力があるとは限らない」という意見に一部賛成しております。

今回は賛成していない部分の説明をします。

 

わたしの主張

わたしの主張は次の通りです。

  1. 棋力があるから指導力があるわけではない
  2. 囲碁インストラクターに棋力は必要

1については多くの囲碁インストラクターが主張をしておりますから、
ここでは説明しません。

 

わたしにとって重要なのは2つ目です。

棋力と指導力との間に関係はありません。

だからと言って、わたしは今の実力、5段のままで良いとも思っていません。

それは次の理由です。

 

現状維持を嫌う理由:弱いは居ない

わたしが現状維持でいたくない理由は、弱ければ認知すらされないからです。

見向きもされないといってもいいです。

わたしは業界ではおそらく最弱でしょう。

6段ですらありません。

免状を持っているわけでもなければアマチュアのタイトル戦で成果を出したわけでもありません。

 

そのような人から指導を受けたいと思うでしょうか?

 

例:棋力だけが違う

ここで例を出します。

インストラクターが2人、A・Bと同地域にいるとしましょう。

Aはネット碁8段、元院生であり、全国大会で活躍できるほどの実力者です。

他方Bはわたし。アマチュア5段です。ネット碁もしませんし、院生経験もありません。全国大会など夢のまた夢の棋力。

指導力は不明、評判や評価を知る方法はありません。

指導料は同じだとして、皆さんならどちらから指導を受けたいでしょうか?

答えは明白ですよね。

わざわざ弱い方を選ぶ理由があるでしょうか。

 

加えて、大会に出ないということは名前が載らないということです。

日本棋院から名前が出ることもありませんし、自分の経歴に箔がつくこともありません。

弱いということは誰も知られないのと同じことなのです。

 

棋力は足切り

 

棋力があるから指導力があるとは限らない。

 

これは間違いのないことです。

しかし、この発言をするインストラクターは全員、わたしより遥かに強いです。

だから、棋力と指導力との関係は無いという主張をわたしは全面的に支持できません。

それは、お金持ちの人が「人生はお金ではない」と言い、高学歴の人が「勉強だけが全てではない」と訴え、美男美女が「人は顔で判断できない」とツイートすることと同じであると認識しています。

彼らは持っていない事による足切りをされなかったに過ぎず、持たざる者の困難を肌身で真に感じられないのだと。

だからこそ、わたしは持っている者の仲間に加わりたい。

その基準を免状6段に設定しています。

 

まとめ

わたしが強くなりたい理由は以上です。

強さが評価・認知の指標となる囲碁の世界では、強さこそがほぼ全て

免状6段を勝ち取ってこそ、初めて他インストラクターと同じ土俵に並ぶのです。